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オイラの夢は『ライダーズカフェ』を作る事。
気軽にコーヒーを飲みに立ち寄り、色々なスタイルでバイクに乗っている人々が気持ちよく過ごせる場所。そんな場所を密かに計画中。夢を描きながらバイクに乗り、生活しています。では、オイラのブログをお楽しみください!。



2013年9月29日日曜日

ばぁちゃん

奈良に住むお袋の母親

おいらの おばぁが亡くなった。

101歳の大往生。
戦後、神戸から親戚の住む奈良の山奥に疎開しまだ小さな子供4人を自らの手で畑を耕し、お茶を栽培し育て売り生計を立て生きてきた。

祖母は神戸では裕福な家庭で育ち、
造船所の社長である祖父と結婚。
祖父はサイパン沖で自分が手がけた戦艦と共に戦死。
祖母は戦争という悲しい悲惨な出来事を死ぬまでおいら達に言葉で伝えた。

わしゃ〜死ぬまでに1度でいい
サイパンのタクロバンに
いってみたい
あの人の眠る海を見てみたい

それが祖母の夢だった。

それも叶わぬ夢となったが
今頃天国で祖父と仲良く手をつなぎ積もる話をしていると思う。
祖母の思い出と言ったらおいらは怒られてばかりだったように思う。
また、母に怒られているおいらを何度かかばってくれた。
祖母はよく泣いていた。
今思うとなんで泣いていたのかはわからないが。
奈良の山奥には自然が色濃く残っている。
川にはヤマメ、岩魚が泳ぎ、森には動物が多くいる。
夏になると母と泊りに奈良へ行った。
決まって出たのがキュウリ。
まだ小学生のおいらに味噌を付けて食べさせた。
田舎のおやつは冷えたキュウリなのだ。
正直、あまり好んで食べなかった。
食べ飽きると縁のしたに捨てた記憶がある。
祖母と一緒に同居していた母の姉は鬼婆の様に怖い人で、物事をはっきりという人だった。

きょうびの子は、変わっとるな。
いつも言われた。

キュウリは嫌い、虫は怖がる。
麦茶よりジュース。
田舎の人にしてみれば
ひ弱なもやしっ子だったのだろう。
いつも馬鹿にした顔で見られていた。

しかし、大人になってから叔母にあって話をすると関西特有のユーモアのあるおもろいおばちゃんなのだ。
子供の頃の印象とはかなり違った。

奈良というと思い出すのか川。
おいらがまだ小さな子供の頃には、川に行くとスイカの様な甘い香りがした。
川を覗き込むと沢山の鮎が泳いでいた。
川の淵を掘り道を作ると鮎が泳いで中に入ってくるのだ。
釣らなくても鮎がとれた。
それだけ沢山鮎がいた。

あの頃の思い出は今でもはっきりと覚えてる。
最後に奈良に行ったのは
もう38年も前になる。
祖母は5年に1度は横浜まで遊びに来ていたのであっていたが、今は川も山もあの頃とは違い、川も狭くなり道路も綺麗に舗装され、おしゃれな店まで出来ている。

母や、おいら達兄妹の思い出の奈良はもう目の前にはなく、祖母が亡くなったという現実と共に子供の頃に感じた田舎の匂いや温かさは薄れていく。
この現実を見なかった方が良かったのかな。
そう思えた。

また、一人
おいらの大切な人が他界した。
人は生まれた瞬間に
いつかは死ぬと決まっている。
それが早かろうが遅かろうが
終わりがあるのなら
それまでやりたいことをやって
悔いのない人生を送ろうと思う

まだ、その達成感がないから
死が怖くなるのか?人は死を恐れる。
達成感があれば死を恐れることもなく迎い入れる事が出来るんじゃないかとおいらは思う。

祖母のように、101歳という
大往生は無理だと思うが
祖母のように

いつ迎えに来てもいい
わしゃ〜やるだけの事はやった
娘や息子も育ち孫もいる
後は残りの人生を人のために使って
葬式の時に沢山の人が来て
わしの事をいつまでも忘れずにいてくれればそれで幸せ。
わしが生きていたという証が
あればええ。

少なくとも祖母は
人に感謝し
人を騙したり恨んだりせず
コツコツと真面目に生きれば
けして裕福ではないが
悔いのない幸せな人生をおくれるんだと言うことをおいら達に教えてくれた。

おばぁ、ありがとうね
あなたの事は一生涯忘れませんよ。
いつも奈良に帰る時に言っていた台詞

あんじょうしい〜やぁ

今でも耳に残ってる。

感謝。




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